真珠について

真珠の人工的な生産は古くからおこなわれており、西暦1000年代というかなり昔から中国などで行われていたという記録があります。しかし、まだその技術が確固たるものとなっていなかったため量産することは難しかったのですが、その技術を確立したのが有名な御木本幸吉であります。御木本幸吉は三重県志摩市の神明で養殖アコヤガイを用いて半円真珠の生産に成功し、後に英虞湾に浮かぶ多徳島で真円真珠の生産に成功しました。

その後、様々な技術の改良を経て養殖貝による真珠生産は広まり、英虞湾、宇和海、長崎県対馬などで生産が行われるようになり、またインドネシアなどでシロチョウガイやクロチョウカイといった貝を用い、所謂「南洋真珠」が作られるようになっています。

しかし、1996年頃から始まったウイルス感染症によるアコヤガイの大量斃死現象や真珠摘出後の廃棄貝、および諸々の排水による湾の富栄養化などの要因から日本のアコヤ真珠の生産量は低下してきています。
その真珠について今更ではあるが再度「知る」ことによってその魅力をわかっていただけたらなと考える次第であります。

真珠

真珠養殖の歴史
明治初期。
外国の商人が天然真珠を日本に買い付けに来るようになった。しかしながら、天然真珠は高値で売れたため乱獲により真珠貝は枯渇していった。そのため、真珠貝の保護・養殖の必要性が高まった。

明治20年代。
真珠貝養殖が、欧米の牡蠣の養殖を参考に徐々に成果が現れだした。

明治26年 御木本幸吉が半円真珠(貝付き半球真珠)の挿核実験に成功。

明治31年 半円真珠の量産に成功。

明治40年。
西川籐吉と見瀬辰平との間で真円真珠の発明の優先権を巡って争いが勃発。
このふたりの特許内容が明らかになったこの時期、真円真珠の養殖技術が確立されたといえる。よって真円真珠の発明を成し遂げたのはこの二人だというのが定説である。
見瀬辰平は明治40年3月1日に「介類外套膜組織内ニ真珠費着用核ヲ挿入スル針」の出願をおこい同年7月に認可を得ている(特許12598号)。その明細書の中で
「ソノ目的トスルトコロハ介類ノ外套膜ノ外皮細胞ノ幾分ヲ核ニ付着シテ結締組織内ニ送リ込ムニ適セシムルニ在リ」(核と外套膜の切片を貝の内部に挿入し真珠袋を形成させることによって真珠を造る方法である)という記述が見られ、これは現在知られている方法であることがわかる。

明治42年 西川藤吉没 その研究が御木本幸吉に引き継がれていく。

大正期 真珠養殖はまだ一部の先駆的な人々によって行われていた。

昭和以降、その技術は急速に広まっていく。